はてさて(旧:二人合わせて130歳、40周年、80日間、世界一周)

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140615 ベルリン

 テレビをつけっぱなしにして寝ました。何やら雰囲気で目が覚めると後半で1 - 0で勝ってました。しかし、目が覚めた直後に逆転されました。私のせいです。なんで目が覚めたんだろう?

 午前中に今回のツアー最後の団体行動で、ベルリンから北西に20kmほどいったところにある、水に囲まれた美しい街、ポツダムにSanssouci城と「ポツダム宣言」の会議場となった元のお城を見物にいきました。なんたって、サッカーを見たあとのうたた寝くらいで、まるで通勤電車の様に日本人の爺と婆でごった返す朝食を終えて、朝7時半にバスに乗ると、日曜日の早朝ですから、道路はがら空きでございます。グリーニッカーの橋何ぞは真ん中歩いたって大丈夫ってくらいでございます。

 お城につきますと、まだ開いていません。じゃ、というのでお庭を散歩します。なんと広大なフランス式庭園は散歩自由でございます。そろそろ管理費が払底しているからそのうち有料になるかもしれんのだそうで、いくなら早い者勝ちにてございます。

 それにしてもあの頃の各国の王様はこぞってフランスの真似をしたがったものでございまして、こちらも例外ではございませぬ。何しろ名前にまでフランス語を使い(中国語かと思っていました)、やってくるお客さんともフランス語でしゃべったというくらいのかぶれようで、こうなると「おそまつ君」のイヤミみたいなものでございます。

 そこからポツダム宣言の会議が開かれたツェツィーリエンホーフ宮殿というのはその名前の通りに「hof」でございますから、宮殿と呼ぶよりはやっぱり「お屋敷」ではございますまいか。なかなかしっとりとした広大な木立の中に建てられたチューダー朝まがいのお屋敷です。中には様々なエピソードが書かれた資料とともに展示されてございますが、ここで日本に対して降伏要求がだされたという点についてはほとんど触れられていないという不思議な状況になってございます。何でもポツダムの某建物前の広場には「広島/長崎」と名付けられているんだそうですけれども。ここを説明してくださったベルリンにお住まいの日本人のガイドの方がとても真剣に説明してくださって好感が持てました。

 ベルリン市内に帰ってきてから皆さんにお別れの挨拶をし、ゲイ・フェスティバルが開かれているNollendorfplatzの駅の傍にいって屋台でソーセージと芋を昼飯に。部屋に帰って一休みするとあっという間に2-3時間寝てしまいました。

 今日はKonzert Hausに室内楽と合唱のコンサートを聴きにいきました。日本で準備していた切符です。このホールはとてもウィーンの楽友協会に似ていて、驚くほどなのだけれど、さもありなん、あれを模して作られたのだそうです。ものの見事に復旧してあります。

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