Air New Zealandの5便は夜の10時半に飛び立って翌々日の朝7時20分にAucklandに到着します。なんとフライト時間は13時間ということになっていて、多分私に取っては最長の飛行時間ではなかったかと思います。2013年10月18日という日が私の人生から抜け落ちてしまいました。(かなり大げさですが、事実なんです)
シートはフルフラットになるのですが、満席のキャビンの中がこういう状態になるとまるで昔の北海道行きのフェリーの三等船室での雑魚寝状態のような様相を呈しています。
定刻の10時半にゲートを離れたものの、タクシーイングをなんと30分もやってようやく滑走路の端に到着したのですが、私はこのまま空港の中をぐるぐる回るんじゃないかと不安に陥っちゃいました。(大げさですが)。
さて、New YorkーNiagara FallsーLas VegasーLos Angelesと走り抜けた北米ですが、何が印象に残ったのか。
- 公衆トイレ:昔に比べたら全体的に高さが低くなった。フラッシングがほとんど自動的になって自分で押さなくなった。そのかわり変な動作をするとフラッシングされてしまう。そのくせフラッシングしたくてもできなかったりする。どこでも必ずペーパータオルもしくはエアー・タオルがある。つまり、今でもエネルギーを使おうとする。
- 大量消費:米国が今でも相変わらず必要以上にものを消費していて、全然変わろうとしていないこと。食べ物で多すぎないのはアジア系食い物屋くらいかもしれない。圧倒的に太った人が多いのは未だに変わらないこと。
- 綺麗になったこと;New York、マンハッタンのアッパー・タウンを待つまでもなく、実にこぎれいになった。(ん?昔のアッパー・タウンは怖くてほとんどいっていないのに。)噂に聞くとNew Yorkの地下鉄も汚かったらしいけれど、今回かなり利用した印象からいうと全然おかしくない。ただし、車両の古さは隠せない。こうして考えると実に綺麗なんだという外国人の東京に対する印象が頷けるのだ。
- 庶民の憩いの場:Las Vegasが華やかなショーの世界と思い込んでいたけれど、この部分と1セントから楽しめる庶民のギャンブルに一日浸っているのとでは全く客層が異なるのだということ。
- 英語とスペイン語:下働きをしている労働者層というのはもうほとんどスペイン語で運営されているのだということ。元々の英語で育ってきている層の雇用はどこにあるんだろうか。知識や能力に恵まれていなくたってコツコツ身体を動かして働いていればどうにかなった部分は全部移民に取られてしまっているのではないのか、ということ。
- よじ上るベッド:以前にも体験したことですが、何で米国人はこんなに大きな、こんなに高いベッドに寝たがるのでしょうか。よじ上るようなベッドは不必要じゃない?こんな大きなベッドにひとりで寝て、無駄じゃない?無駄が面白かった時代はもう終わりじゃない?現実はもう今からじゃとても変えられないってことなんだろうなぁ。
- 無愛想:なんでみんなつまんなそうにサービスしているのかなぁ。tipが欲しいときだけじゃないですか、ニコッとするのは。しかも給仕の人たちは「Everything All Right?」と聞くことだけがサービスだと思っている傾向があるってことかな。
- もう完全に中国人のもの:どこに行っても観光客の主人公は既に中国人になっているってこと。どこから来ているのかはわからないけれど、とにかく中国語はあちこちに氾濫している。多言語で表示されているものの中に日本語が残っているところがどんどん減っている。そして「日本食」と表示のある店のほとんどが中国人か、多くは韓国人が経営しているってこと。いわれてみると日本でだって、フランス料理やイタリア料理なんぞと書いてあるけれどやっているのはフランス人でもないし、イタリア人でもない。
Auckland空港はとても綺麗な空港で、飛行機が降りていくと雲の下は瑞々しい海と緑溢れる陸地が広がっていて、湿気が肌に気持ちが良い。
豪州の空港にやってきたのと全く同じ空気を感じるのは空港内のシステム、手順とほぼ似ているからでしょうね。
食べ物は何でもかんでも持ってきちゃだめだよ!と厳しく、検査の手前で持っていた果物を全部捨てたにもかかわらず、連れ合いはビーグル犬にポイントされ、鞄をチェックされた。直前まで持っていたバナナに反応したんですね。それは以前に私もホバートの空港で経験があって、バナナのにおいはとっても強いのですよ。
挙げ句の果てにここでは自分の大きな荷物までX線にかけられます。なんだか身ぐるみはがされる感じといったら良いでしょうか。空港から街へはAir Busという青いバスがあります。往復で23ドル。01番と05番のバスがあって、シティへ向かう私たちは05番でQueens Streetの1Dという停留所で降りましたけれど、次の1Aでも良かったような気がします。ただし、この辺りは結構急な下り坂ですから行き過ぎると荷物を押しながら坂をあがる結果となりますので、ご用心。
Auskland International Youth Hostelはチェックインがもちろん午後2時です。それまでぐるぐる街中を散歩して歩きます。
ここでもシャワー付き、ツインベッドの部屋に泊まります。すばらしいことにここではバスタオルがおいてあります。改装工事が終わったばかりの様で、ちょっとペイントのにおいが残りますが、バスルームはセンサー付きのファンがあって人が動くと廻ります。
一階(欧州と一緒でここでもグラウンド)のパブリック・スペースには大きな台所があって、熱湯も提供されますし、食べ物の棚、冷蔵ケースもあって、各自自分の荷物にはシールを貼って明記しておくことができますから十分自炊が可能です。外食はいやというほど周りにありますが(ほとんど中華、韓国系、ケバブ系、インド系)安くはないので、ここで自炊が正解だと思います。
17-8年前にSydneyに赴任したときに必ずいくチャンスがあるだろうと思って買っていた「歩き方」がうちの書棚にあったので、この街の分だけを切って持ってきました。地形は変わってないからね。ただし、現状は相当に変わっています。
フェリー乗り場まで坂を下っていきますと、大きなクルーザーが入っていて、後から後から白人のお爺さんお婆さん(自分たちだって爺婆ですが)が街に出てきます。街中は土曜日のせいか若いアジア人の男女で一杯です。日本人の女性が「あ、日本語だ!」といって通り過ぎていきました。素直な反応だなぁ。
日本雑貨店があったので電源ソケットのアダプターなんてどこかで売ってますかねぇとお伺いしたら「ケミストにいってみたら」とおっしゃいます。ケミストというのは本来的には欧州でいうファーマシーですが、そんなものがあり得るの!?と驚きました。豪州でもそうですがケミストに帽子やサングラスを売っているのは知っています。あれは紫外線対策としての品揃えだからですが、まさかソケット?
その古い「歩き方」にヴィクトリア・マーケットってのが毎日開かれていると書かれていたのでマーケット大好きな二人はこつこつと歩いてきました。(途中で食べたDenny'sのまぁ、高いこと!)古い煙突が目印だというのですぐに場所は見当がつきました。Victoria Streetを行けば良いのです。
ところがやってきてびっくり。煙突は残っているものの、周りはすっかり再開発されちゃって、どうやらできたばかり。ショッピングモールになってしまっていて、まだ店が入っていないスペースだらけの実につまらない空間になってしまっています。こりゃ、大失敗じゃないですか?それにしてもどうやらこの街の不動産業も中国系の人たちに牛耳られちゃっているんじゃないだろうか?そんなところもひと頃の日本人と同じかな?
むかいにあるVictoria Parkも今日は土曜日ですからクリケットをやっている連中が一組、4対4でラグビー・リーグに興じている連中が一組、緑濃い春の日差しを満喫しています。芝生(というのはちょっと厳しいかもしれないなぁ)の中にはミニ・デイジーが白く群生しています。
Londonでも遭遇したのですが、どうやらインド人コミュニティーのお祭りかなんかで広場には大掛かりなステージが作られていて、Queens Streetも数ブロックにわたって交通が遮断されています。売店がいくつもの気を連ねていて、夕方通りかかったら、それこそわんわんと人が集まって大騒ぎになっています。朝方の霧雨のときには一体どうなるのかと思っていたことでしょうねぇ。見たことのない、食べたことのない食べ物屋台が軒並みです。この歳になるとこの先のことが心配で冒険ができないっす。