はてさて(旧:二人合わせて130歳、40周年、80日間、世界一周)

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130530 ブダペスト5日目

f:id:nsw2072:20130531214245j:plain 昨日の夜中から雷がなっていたのは知っているのだけれど、朝、5時に目が覚めてみると土砂降りになっていた。トラムはまだ走り出していない。それでも二輌連結のバスはすでに走り出していて、それも結露で見えにくくなっている車内はすでにいっぱいの人だ。もうこんな時間から街は動き出しているというのだろうか。ひと眠りしていつもと同じ時間に目を覚ましても、土砂降りはやまない。昨日に比べたら10℃も低い温度になりそうだと天気予報が告げている。最高気温が18℃打というのだ。そっけないテレビの天気予報は曇りのち晴れだと言っているけれど、これではとてもやむような気がしない。
f:id:nsw2072:20130531214356j:plain いずれにしても今日は一昨年以来となる国立博物館へ行ってみようという計画だったので、予定に変更はない。しかし、たどり着いてみると、明らかに晴れていたら違うところにいくはずだったであろう小学生や高校生のグループが切符売り場にワンワンしている。
大人は1,600HUFでフォト・チケットは500HUFだという。これは常設展のみで、今回特設されている印象派絵画展は別料金ハンガリー人及びヨーロッパ人(一体どこまでを含むっていうの!)の65歳以上はディスカウントあり。思わず日本人で悪かったな!と毒づきそう。印象派の絵画がどれほどあるのかわからないけれど、ウィーンのアルベルティーナ美術館でも見たし、なんたってこれから本場のパリにも行くのだからとパス。
f:id:nsw2072:20130531214724j:plainハンガリーの歴史はまさに非侵略の歴史で、次から次に西からも、そしてその多くは東からもどんどん侵食されて、一時大変大きな国であったのに、散々翻弄されてきた。
ハプスブルク家オーストリア・ハンガリー帝国だなんて名前だけでごまかされて振り回された。中央市場の横にかかっている「自由橋」は完成当初はハプスブルグ最後の王、フランツ・ヨーゼフにちなんだ名前となっていたのに、大変に嫌がられ、名前が変わったのだと聞いた。
欧州にくるとこの種の施設に入ったら必ずトイレにいかなきゃならない。そうでないといざという時に見つからないで往生する。その上お金がかかる。前回ここにきた時は確かショップで気の利いたカレンダーを買った記憶があるのだけれど、そのカレンダーはあまりにも早く買ってしまったので、いざ新年がきた時には見つからなかった。
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外に出ると雨はもう止んでいたので、ここまできたら前回はパスしてしまったユダヤ教シナゴーグに入る。入場料金は2,650HUFでここもフォト・チケットを買うと500HUFする。入り口にも、礼拝堂の入り口にも、ミュージアム(と言っても実質は宝物殿のようなもの)にもお土産やがある。なんだかイエスの時代のシナゴーグをそのままと思わせる光景で、しかもそこにいる売り子は如何にもそれらしい。礼拝堂にはいる時は男の人は白い、ユダヤの男性が載っけている丸いシートを乗せろと言われる。どうも頭に何かを載せていればいいらしくて、キャップをかぶって入ってきた連中はそのままだ。私の感覚から言ったらその方が失礼な気がする。
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礼拝堂に入っていくと、前の方におばさんがいて「イングリッシュ!」といっている。そのまま寄っていくとこのおばさんがそのままガイドとなる。ホロコースト前はこの街には30万人のユダヤ人が暮らしていたのだそうだ。当時の話を聞いていて気になったのは、ナチスがやりたい放題の無茶苦茶をやっていた時、この街のキリスト教とはどうしていたのか、ということだった。なにしろこの街はナチスに呼応したのだからほとんどなにもする力を持たなかったのだろう。展示してあった写真に槌と鎌マーク=ダビデの☆と書かれていたのが印象的だった。当時の日本と一緒で、敵対する共産主義と彼らは同じ敵だった。
プラハでもシナゴーグは今でも観光名所の一つになっていて、以前に行った時にはあまりにも長い切符売り場の列に嫌気がさして入らなかった記憶がある。
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シナゴーグの近所には大学があるので、その反対側には専門書(と思しき書籍)の古本屋が軒を連ねている。その隣に新刊本書店があったので、ブダペストのトラムの路線図がないか聞いてみると、それならこの先の「libiri」にいったらどうかと言われる。Alexandriaという大きな本屋があちこちにみせをひらげているのは知っていたけれど、この店の名前は知らなかった。それにしても本屋らしい名前だ。その店を探し当ててみると、そとから見たら何だか心もとない、その辺の安物本屋のような様相だったのだけれど、一歩中に入って驚いた。エスカレーターがついていて、それぞれのフロアーに「information」係がいて、支払いは一階のキャッシャーというジュンク堂システム。かなり詳細な市内地図を1,000HUFで手に入れる。ここの一階では村上春樹特設コーナーがあって、最新刊はまだないものの「1Q84」は上下巻で、その他の書籍も4ー5種類並んでいる。informationのお兄さんに「あれは全部ハンガリー語なのか?」と聞くとわざわざそこまで行ってくれて中をパラパラと見せてくれた。もちろん私には全くわからないのだけれど、ハンガリー語にまで翻訳されていることを知って今更ながら驚かされる。
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午後3時近くなってそろそろ腹が減ってきたところで、そういえばこの街にもCentralというカフェがあることを思い出した。そこからそれほど離れていない。大通りを歩いていくと、工事で車両通行止めになっている道路がある。それがそのカフェと日本語のガイドブックにも書かれている民族音楽を演奏するレストランの通りだった。
まるでこの街から浮き上がってしまっているかのごときカフェでニジマスのソテーを食べるが、これがここの売り物らしく、アーモンドのかけらがまぶしてある。これが食感が楽しくて旨い。
夜はずいぶん前から入手していたイシュトバーン大聖堂でのオルガンコンサートに行った。あの大聖堂のパイプ・オルガンがどんな響きをするのか楽しみだったから、観光客向けのものと知りながら一番安い席を買った。上演時間が迫るとパッと内部の照明がついて、昼間見るのとは大違いのキンキラキンである。

ところがオルガニストが祭壇よこのキーボードに座った時に、あれ!これはどうよ?と訝しかった。不安は的中してここのあの大きなパイプがなるわけではなくて、礼拝ように前に設置されている電子パイプオルガンなのである。最後のバッハも腹にズシンとくる音ではなくて軽いものだった。尤も長州の多くは年寄りだから、あの本ちゃんを鳴らして低周波で心臓麻痺でも起こされたら大変だ、という読みなんだろうかという皮肉も出ようというものだ。観光客むけならこれでいいや、ということか、あるいはあのほんちゃんはいまや鳴らなくなっているのだろうか。

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