ミュンヘンを午前8時に出発しました。昨日の夜が10時には寝てしまっていたので、午前4時には目が覚めてしまい、そこからもう起き出していたので、バスが走り出すや否や眠くなり、添乗員がなにを語ろうとも貸す耳もなく寝穢く眠りこけたものだから、次にどこへ行ってなにを見るのかもすっかりわからずに目が覚めたらどこかの街のトラムの線路の脇だったのです。それがアウグスブルグの街中でした。
Fugereiという名前のコンパウンドで、当時の金持ちだったフッガー家が経営する社会福祉住宅というふれこみです。
ヤーコプ・フッガーが1485年に銀の先買権を手に入れて莫大な利益を獲得してからは飛ぶ鳥も落とす勢いで、なにしろコロンブスのサンタマリア号にもその手下が乗っていたというくらいですし、その上なんとバチカンに金を大量に貸し付けて、その回収のために免罪符を売れば良いじゃないかと知恵をつけたのものこの男の手かの仕業だったともいわれております。このおっさん、市民で、カトリックで、そしてもうひとつの条件を付け(もうひとつが重要だった様な気がしますが忘れちゃいました)ここに住居に困る人たちのために作ったのがこのコンパウンドなんだそうです。
今でも家賃は年間わずかに88セントだっていいます。え?と驚きます。依然として100数十人が居住しているそうです。
それにしても確かに歴史はある訳で、なにしろモーツアルトのひいじいさんだってここに暮らしていたことがあるんだそうですよ。「フッゲライ」の名前は聞いたことがありましたけれど、フッガー家のことを思ったこともなかったのは、不覚でありました。
戦争中はここに大きな防空壕を作ったそうで今でもそれを見物することができます。