はてさて(旧:二人合わせて130歳、40周年、80日間、世界一周)

旅行の記録は(http://nsw2072.blogspot.com)に移りました。

君の名は

 あのラジオドラマは生放送だったので、後ろで流れていた音楽も、当然生で、それは古関裕而ハモンドオルガンを弾いていた、とウィッキペディアにでていて、そこで初めて、あのラジオドラマのバックにひょろひょろしたオルガンが流れていたことを思い出した。脳の相当奥の方から掘り出されてくることがあるんだと、とても驚いた。しかし、その記憶はついこの前まで、ごく普通に掘り出せるものだったような気がする。人間の脳は怖ろしいくらいに複雑にできているんだと驚いた。

忘却

 あれは佐田啓二岸惠子の「君の名は」の冒頭のナレーションだったかと思った「忘却とは忘れ去ることなり。」とここまでは覚えているんだけれど、後半の「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」は全く知らなかった。その上、このナレーションはオリジナルのラジオドラマのナレーションだった。
 というわけで、このブログのことを全く忘れていたのである。ぴょこんと表示が出て、今月、このブログにお立ち寄り下さった方が100名を超えたという。申し訳ございませんでした。愚痴のようなこのブログをご覧戴いて恐縮です。
 ところで、ラジオドラマなんだけれど、じゃ、こっちの出演者は一体誰だったんだとウィキペディアにお伺いを立ててみると、後宮春樹は北沢彪、氏家真知子は阿里道子という人だという。しかも、このラジオドラマは生放送だったそうで、音楽は、古関祐而がスタジオで、生でハモンドオルガンを弾いたというのだ。そういわれてみると、あのドラマにはうら寂しいメロディーがブルブルと震えるようなビブラート付で鳴っていたなぁと思い出す。あれは古関祐而が弾いていたのか、と意外だった。
 古関裕而NHKの朝のドラマも今週で終わりだそうだ。NHKの朝ドラの時代考証は気持ち悪くなるくらい、小綺麗だが。私は全くフォローしていない。
 北沢彪はテアトルエコーのファウンダーだそうで、1980年に69歳で他界している。だから当時は40歳そこそこ。阿里道子は1925年生まれの劇団民藝出身というのはわかるけれど、その後についてはウィキペディアにも書かれていない。
 すれ違いドラマだったらしいが、今だったら決してそんなことは起こらない。しかし、携帯電話がなかった頃、すれ違いは結構多発していた。そして待ち伏せという手段を弄したことも一度や二度ではない。今だったら、ストーカーとして訴えられそうだし、成り立たない。もう既に、そんな手段は、嫌われ者の悪手になった。このあたりは「忘れ得ずして忘却を誓う心」だなぁ。

某信託銀行

 相続の相談を受けてくれた某財閥系信銀の担当者は結局系列の不動産会社を紹介してくれただけで、途中で引退してしまい、その子会社の不動産会社の担当者が発注した造成会社がちょんぼを誠意を持って対処しないどころか、早く支払え訴訟。不動産会社の担当者が紹介してきた弁護士はその支払いをちょっと負けさせて和解。その差額分にも成功報酬を要求。不動産担当者はその弁護士に向かって「いやぁ、勉強になりました」と。弁護士費用はこっち持ちだってのに、俺たちはお前の勉強のために負担したんじゃねぇぞ。それでなくても嫌いだった財閥系の銀行口座は全て閉鎖した。ひょっとしたら奴らの罠にはまったんじゃないかとまで思った。あれからこの方、あの財閥系信銀を連れてきた親戚とは絶縁。「こりゃおかしいぞ」といったら「そんなことをいっている場合じゃない」と逃げようとしたのは許せない。

つらい

辛いことを書くことになりそうだなぁ。
自分は親の犠牲の人生を送っていると思うか、あるいは親ができなかったこととは別に自分は生きていくんだと思うか。

いやなこと

 自分の記憶の中では「イヤだったこと」は想い出さないようになったら良いなぁと思っていたんだけれど、いつまで経っても思いだしてしまう。サラリーマン生活に終止符を打つきっかけになったあの職場のことは全く色あせずに想い出すことができてしまう。
 しかも、あの職場は最初で最後の自分が選んだ職場だっただけにショックは強かった。ま、周りの人たちからしたら、ざまぁみろだったのかも知れない。

 それと同じで、娘も自分が独り立ちできなかったきっかけをいつまでも引きずっている。現実世界で結果を出せないのがわかっているから、ゲームみたいな仮想世界で結果を出したいと思うんだよと云う。それだけ今の子どもたちは仮想世界に希望をつないでいると云うことなの?だとしたら、ものすごく不幸せだねぇ。